永遠という言葉ほど無意味なものは無いと、思っていた。





 おそらく私はその時、何も見えてはいなかったのだろう。勿論、眼はどちらも正常に機能している、機能はしているけれど、それを使いこなせていなかったのだ。もしくは、眼に映る現実という悲喜劇から逃れたかったのかもしれない。とにかく、私はその時何も見えていなかったのだ。一切を拒絶していた。全てに絶望していた。いや違う、それは絶望ではなくこの世への諦観だ。絶望などというどろどろとした感情ではなく、そんな醜いものすら残してはくれない、全てを無に帰す諦めだったのだ。今までこの身体や精神に残してきた歓喜や悲哀や愉悦や嚇怒を、私が所有していた全てのものを、断片すら残さずに無へと変換させてしまう、絶望よりも尚深い諦めだったのだ。

 永久を願っていた訳ではない、永遠を祈っていた訳でもない、久遠を望んでいた訳でもない。ただ、一生という長い年月の間のほんの僅かでよかった。その間に、一瞬でもいい刹那でもいい、それよりも短い時間でも構わなかった、少しでもその瞳に私という存在を映して意識してくれればそれでよかった。好きになってくれと愛してくれと、そんな大それたことは思っていなかった。例えその意識の理由が憎悪でも構わなかったし破壊でも構わなかったし、それこそ絶望でも構わなかった。

 おそらく私はその時、何も見えてはいなかったのだろう。あなたへの愛以外には。



「――――ど、うし、て?」

 だから気付かなかったのだ。



 どくんどくんどくん、と普段の倍以上の速さで身体中に血液を送り出す音がする。それは酷く速くてそして酷く大きくて、何より鎮魂歌のように、聞こえた。葬列の時に思い出すあの綺麗で涼やかで憂いを帯びる旋律とは全く真逆の、とても美しいとは言えないそんな脈音だったというのに、私はそんなことを思った。あくまでも静かに紡がれるそれとは似ても似つかない、轟音のように体内を巡り廻り暴れる音は、出口が無いからひたすらそこを繰り返し反響して余計勢いを増してゆくだけだ。浄化できない、消化できない、昇華できない。いっそこの音を体外に出せたのならば、いくらかこの感情は落ち着いただろうか。引き結ぶしかできないこの口を、瞠目しかできないこの瞳を、握り締めるしかできないこの拳を、別へと向けることができただろうか。言葉を紡ぐ唇へと、微笑を零す双眸へと、抱きしめる腕へと、変えることができただろうか。

 それを与えるはずの対象はもう喪ってしまった、けれど。



 なんて、あかい。

 ぴちゃり、と左足のブーツの尖った先が血溜まりに触れる。汚れるとも、穢れるとも思わなかった、ただ美しいと思った。踏み入れてはならないとすら感じた。赤よりも尚赤い、今まで見たこともないような、鮮やかにどす黒く艶めく、あか。右脚のブーツの底が完全にそれと触れ合う。綺麗だ、ぼんやりとうまく働かない頭でそんなことを考える。赤と云うものはこれほど貴い色だったか。瞬きさえも忘れ、息すら止まってしまうほどに、深い色だったか。

 そのあかの中に高潔な黒を見たのだ。

 赤に浮かぶ黒を見た。後ろで少しだけ束ねられていた髪は解け、さらりと靡くはずのそれはべっとりと血に濡れて頬に張り付いていた。どうして、もう一度呟いても返事はそこに無い。答えも無い。応えも無かった。整った美しい唇は何も告げない。あの時のように、嘘か真か判別もできないほどの狡猾な言葉も、響くことは無かった。そういえば、あの言葉は真実だったのだろうか、それとも虚偽だったのだろうか。欲しいとは言わなかったが心の奥底ではやはり彼からのそれが欲しいと密やかに思っていた。強欲だと思われても仕方ないが、自分と同じくらいの愛情を。あいしていますよ、、と言ったあの唇や瞳や、その後に私を抱きしめたあの腕の感触は今でもはっきりと思い出せるのに、そうだ、あの時も私は今のように鎮魂歌のような脈音を体内で響かせていたのだ。



 もしかしてあれが終焉を告げる警鐘だったのか。
 けれど私は気付けなかった、この人への想いしか見えていなかったから。

 また同じように、彼が私に向ける感情にも、気付けなかったのだ。



 ぱたっ、と水面に何かが跳ねる。赤に吸い取られるように同化したそれは、最後の一瞬まで透明な雫のままだった。瞳の奥が焼けるように熱い。眼球ごと喰い殺されそうなほど、熱い。冷まさなければ、と思うほど雫は溢れて冷めるどころか更に熱さを増幅させるだけだった。絶えず赤に呑み込まれてゆくそれを見て思う、あぁ、色が違うだけなのにどうして。

 どうして赤か透明かの違いだけで、孕む哀しみの量はこれほど変わってしまうの。

「むくろ、さま、」





 どうして赤か透明かの違いだけで、生か死か決められなくてはならないの。







Passepied
あの時の愛しているという言葉の意味も、分からないまま



(20070403)