おいで、と主が言った。声は出さずにひとつ頷く。それを見て主は嬉しそうに微笑んだ。
 自分よりも小さく細く、脆弱な身体だといつも思う。前を歩く少女は人間という枠で見てもその程度の力しか持っていない。自分とは違う薄く脆そうな皮膚を纏う手で、躊躇いなく俺の手を握っている。この身体は人間にはそれだけで凶器だということを俺は知っていた。固い皮膚が少女のそれを傷付けてしまうのではないかと柄にもなく憂慮する。俺がそんなことを考えているとは知りもしないだろう主は、掴んだ手を離そうとはしない。

「バンギラス、こっち」

 至極ゆっくりとした足取りは、静かな夜によく似合った。足音は森の中にはあまり響かない。時折、枯葉を踏んだ音が鳴るくらいで、それ以外はほぼ無音だった。夜の闇を引き裂くような静寂だった。それでも息苦しくなかったのは、繋がれた手の温かさを感じられるからなのだろう。暗く冷たい夜の中でそれだけが頼りのように思えた。そうして心の中で苦笑する。このような脆弱な少女に縋るなど。

 鬱蒼とした森に一体何の用があるというのか。ゆったりとした、しかし重くはない速さで主は進んでいった。その少し後ろをついていく自分の足取りも、主と同じくらいの速さになる。静かな森、暗い視界、湿った空気、遠くで何かの啼く声がする。

「……この啼き声、きっとホーホーね。もうそんな時間なのかな」

 こちらを振り返って主は言った。それに対し、また頷く。

「ごめんねバンギラス、こんな遅い時間に」

 少し眉根を下げて申し訳なさそうに呟く声は小さい。それでも今はこの空間には彼女の声しか音はないから、すんなりと耳に届いた。今度は横に首を振る。手のひらに力が込められるのが分かった。握り返そうとして、やめる。自分の手では、主を包んでいる薄い皮膚など簡単に破ってしまうだろう。何もかもを傷付けることしかできないと思っていた自分の手を、主はまるで愛しく慈しむように触れる。そうして教えてくれたのは、まだ俺が今の身体になる前の、何年も昔の話。あの時彼女は、この手を破壊に使うのではなく守るために使いなさいと言った。その時はまだ理解できていなかっただろうその言葉も、今ならば分かる。この手を何かを守るために使うのならば、それは我が主、の為でしか有り得ないのだ。だからその手を握り返しはしない。それで充分なのだ、お互いのぬくもりを分かち合えるのだから。
 は小さく、けれど夜の闇を照らさんばかりの笑みを浮かべた。


「ありがとう、バンギラス」


 我が主よ。救われているのはどちらの方か。


小さなの歌


(20100828)