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学術閉鎖都市、アスピオ。 イリキア大陸の帝都ザーフィアスを北上したところに広がるアステフィルスの環状連峰、その麓に築かれた都市を人々はそう呼ぶ。興りはその昔、地下から多数の魔導器が発見され、その発掘及び研究のための施設が設営されたことによる。魔導器研究員は魔導士とも呼ばれ、彼らは昼夜問わず魔導器の研究に明け暮れた。それが次第に発展していき、現在では帝国直属にして随一の魔導器研究機関という扱いだ。性質上、許可証がなければ出入りできないほど帝国によって厳しく管理されており、その存在は周辺の街にもあまり知られていない。 発掘作業によって街は岩窟とも地下とも言えない場所に出来た。イリキア最北部には氷海が広がっていることもあり、気候は温暖とは言い難いが、アスピオはその立地上さらに肌寒いと感じられる。街の中には殆ど陽が差さず、代わりに灯りをもたらしているのは研究所から漏れてくる室内灯の光だ。昔と変わらず魔導士たちは昼夜関係なく研究に没頭しているから、日光が差さないとはいえこの街が闇に覆われることはない。もちろん他の都市と同様に光照魔導器も多く設置されているから、むしろ夜の闇に包まれてしまう外よりもずっと明るいままで生活できるのかもしれない。 アスピオの光照魔導器は帝都よりも光度が高いらしい。あるいは、屋外でないから余計に眩しく感じられるだけか。 フレンは街のあちこちに立てられている外灯を眺めてそんなことを考えた。他にも帝都との違いは多い。街の中を歩く人々は大多数がローブを纏っており、一般人のような格好をしている者のほうが格段に少ない。少数見られるクリティア族はこの街で研究の手伝いをしているのだろうか、さすが研究熱心だと言われている一族だ。道行く魔導士たちはやたらと忙しなく、早く家に戻り研究の続きをしたいと思っているのだろう。書庫の周りでは分厚い研究書物を手にぶつぶつと何やら呟いていたり、円を組んで数人の魔導士が話し込んでいたりしていた。近くを通りすぎた時にちらりと会話が聞こえてきたが、耳覚えのない専門的な単語ばかりを含んだ彼らの話はほとんど理解できなかった。 「あら、さっきの」 そのまま街の入り口まで向かおうとした時、声を掛けられた。そちらを向けば、先程の家の前で会った女性がそこにいた。足元には大きな籠が置かれ、布を敷かれた上にいろいろな物が並べられている。やはり彼女は商人であったようだ。 「先程はありがとうございました」 「あら、私何もしてないわ。ちゃんに用事はもう済んだのですか?」 「いえ、今は用事があるようなので後ほど改めて伺おうと」 「用事ってまさか研究じゃないでしょうねえ。ちゃんとご飯食べるのかしら」 さっきの果物だけでも食べてくれるといいんだけど、と苦笑しながら話す女性はまるで母親のようだった。 「あら、どうかしました?」 「ああ、いや……、さんとは仲が良いのですね」 「そうねえ、私はいつもここで店を開いてるけど、二日に一度はあの子が来るからすっかり顔なじみになっちゃってねえ。話してたら、あの子、あの有名な博士の娘さんだっていうじゃない、で、自分も研究員登録されてる魔導士だって。もう驚いちゃって。まさかあんな若い子が魔導士だなんて」 「博士?」 「騎士の方には馴染みがないかしら。私も魔導器関連の話はさっぱりだけど、ここでは有名人なのよ。凄い研究をいくつも成功させてるとか、帝国からご指名で協力要請がくることもあるとか、いろいろね。天才だって言われてるわ」 「お、帰ってきたか。彼女には会えたか?」 「はい。今は用事があるから、顔合わせは予定通り夕方以降にしてくれと」 じゃあその時の彼女の迎えもよろしくな、とトレスは笑った。 アスピオの外、携帯用の結界魔導器を置いて敷かれた野営地に護衛隊は駐留していた。できればアスピオ内で夜を明かせればいいのだが、生憎ここには騎士団の駐屯地もなければ、この大人数を収容できるような大きな宿もない。そもそも騎士全員にアスピオの通行許可証が発行されなかったから野営するほかないのだ。こんな時でも帝国の管理は厳しく、許可証を貰えたのは隊を率いるフレンとトレス、あと少数の副官のみであった。 「で、どうだったよ、魔導士は」 「……まさか自分よりも年下だとは思いませんでしたよ。報告書には年齢が書かれていなかったので知りませんでした」 「そうだよなあ、お前も若いがそれより更に年下か。俺も初めて会った時には思ったよ、有名になるにはまだ若すぎるってな」 そう言ってトレスは手元の書類から一枚の紙を引き抜き、それをフレンに渡した。それは追加で作成されたらしい報告書で、初期の報告書よりもについての素性が詳しく記されている。フレンはそれを確認するとトレスに鋭く視線を向けた。 「この書類、私には届いていませんでしたが」 「悪い悪い、俺の不手際だよ。ま、重要じゃないようだったから別にいいかと思ってな」 確かに書類には、今回の護衛の任務についての変更点などは一切記述されていない。内容は、許可証発行の件とのことのみである。許可証発行の件は既に口頭で伝えられていたし、護衛対象の素性も先の報告書である程度は把握していたので、この書類はトレスの言うとおり特に重要と位置付けられるものでもないようだった。 肩を竦めるトレスから視線を外し、の素性が記された部分に眼を通す。・、一八歳、アスピオ研究員、専門は武醒魔導器と兵装魔導器を主とする魔導器全般。あとは発表した論文だとか、よく分からない博士号などの肩書きが並べられている。まさか本当にまだ二十歳にもなっていなかったとは、と小さく驚きつつ読み進めると、最後に家族構成についての記述があった。博士、という単語まで読んだ時に、丁度トレスが同じ言葉を発した。 「……博士、って知ってるか?」 「街で聞きました。彼女の父親だと」 「ああ。それはもう凄い魔導士なんだと。博士には会ったことは無いがたまに城にも来てるみたいだな、帝国からの任務で」 幾許かの憐憫にも似た感情を滲ませてトレスは小さく呟いた。 「……そんな凄い奴が父親だと、子供も大変だろうにねえ」 聞き返すより早く、トレスはフレンが持ったままだった報告書を奪い取り他の書類と一纏めにしてしまった。まだ全てに目を通し終えていなかったのでもう一度手に入れたいものだったが、そんな視線に気付いているのかどうか、トレスは手早く書類を片付けてしまう。もともと書類を整理している途中だったらしい。 「ま、とりあえず時間までは自由行動だ。お前も疲れてるだろう、今の内に休んどけ」 「……分かりました」 彼女の話は終わりだ、と。 言外にそう言われた気がして、フレンは胸の前に右腕を掲げ敬礼し、その場を立ち去った。 太陽がじりじりと地面を射している。野営地はアスピオ近くとはいえ屋根などあるはずもないので、直接感じられる陽の光は温かい。先程まで日光が差さない地下都市にいたので余計そう感じられた。太陽の位置からして既に正午は過ぎているようだが、今から夕刻まではだいぶ時間がある。それまで何をしようかと考え、宛がわれたテントに戻りもう一度任務の確認と、自分の隊の者の様子を見、と頭の中で指折り数えていたその時、間抜けな腹の音が鳴った。そういえば昼食を摂っていないことを思い出し、飯炊きのほうへ足を向ける。まずは腹を満たしてからだ。 彼女は今頃、買っていたリンゴとピーチを食べているのだろうか。 ふとそんなことを考えて、随分と小食だなんて的の外れたことを思って、そうしてアスピオのほうを振り仰いだ。ぽっかりと空いた洞窟の入り口から点々と光照魔導器の灯りが漏れている。彼女はあそこにいる。 (20120514) |